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靖国神社見学記 (2)

2014.08.20 22:51|未分類
島田裕巳「靖国神社」より学んだこと 続き

<合祀の基準とは>
戦争が拡大し、戦地で亡くなる人が増えていくと、合祀する人の判断が難しくなってくる。そのため陸軍省や海軍省は、「合祀者資格審査上の参考事項」という通知を繰り返し出すようになり、現在国会図書館のネットで公開されている。

その種類は、①戦死者と戦場で傷を負い後に亡くなった者 ②戦地で疾病、傷によって亡くなった者。但し、自らの過失による傷や病に罹った者は除く ③戦闘の最中ではないが、戦争に関係する公務に従事していて亡くなった者 ④戦地で自殺した者で、これは合祀に値する者に限定される

原則はこれだが、この基準だけでは判断に難しい場合が出てくる。また軍人でなく軍属については更に厳しく厳選される。そこで、保留や後詮というものも出てきた。

昭和16年に陸軍訓令第一号として示された「戦陣訓(せんじんくん)に「生きて虜囚の辱めを受けず」ということばがあり、これは、捕虜となることが忌むべき恥じとされる上で決定的な役割を果たした。捕虜となって、捕虜交換で戻ってきた高級将校が、社会から抹殺されて自決するという事件が起こった後に、世論が一変しその潔い死を賛美する声が高まり、合祀されることになった。

合祀基準に大原則はあったが、常に曖昧で、死に方が問題にされる一方、死に至るまでの生き方は問われなかった。(戦争で死にさえすればやくざ者でも祀られる)
時代が変わるに連れて合祀する祭神も変わり、恣意的な部分がつきまとう。そしてこの曖昧さは戦後も引き継がれている。

戦いが不利になり、国民を鼓舞する必要性が高まるとともに、靖国はその象徴としての役割を担うことになる。国のため天皇のために死んで靖国神社に英霊として祀られることが国民の最大の名誉だと喧伝された。

<厖大な数にのぼる祭神の数>
その聖戦に敗れ、日中戦争からの戦没者は230万人に及び、民間人も約80万人が亡くなった。総計で約310万人にのぼった。
アメリカ軍の占領統治下で、靖国は陸軍・海軍の管理から民間の一宗教法人へと移行する。
靖国神社は戦争が起こるたびに祀る戦没者が増えてきた。そこで他の神社にはない、「招魂斎庭」(しょうこんさいてい)が設けられている。現在は本殿の裏側の駐車場の後ろにあり、目立たないのは、合祀される数が減ったためである。

「招魂斎庭」では、合祀する戦没者の霊をここに招いてから、本殿に奉祀する。戦後直後の合祀祭では氏名不詳の戦没者は約200万人を推定され、調査の終わっていない未合祀者は「招魂斎庭」の仮殿に祀り、調査が終わってから本殿に合祀された。

戦後直後以降の合祀をGHQは禁じていたが、神社側は密かに合祀を続けていた。

現在の時点で、満州事変の戦没者が1万7176名、日中戦争が19万1250名、太平洋戦争が213万3915名となっており、合計234万2341名となり、全体で246万6584名が祀られている。

歴史学者の藤原彰氏は、戦没者のうち約60%が病死や栄養失調死、そしてほとんどが餓死であったと見積もっている。(毎日新聞 データで見る太平洋戦争に詳しく載っています。)
そして未だに約115万柱の遺骨が、海没したものを含め現地に残されたままだとされている。

<霊璽簿(れいじぼ)と戦没者名簿(遺族年金)などのリンクー政教分離>
日中戦争以前の勝ち戦での戦没者を祀っていた時と変わり、このような厖大な戦没者が無駄な死を遂げたという事実は、戦後の靖国神社を大きく変えていく。
また、多くの遺族が働き手を失った結果、国家は遺族の生活を支えるために経済的な保障をしなければならなくなった。

こういう遺族の声を吸い上げていったのが、日本遺族会の前身である。その目的は「英霊の顕彰、戦没者遺族の福祉の増進、慰藉救済の道を開くとともに、道義の昂揚、品性の灌養に努め、平和日本の建設に貢献する」となっている。

靖国神社の特徴にひとつは、拝殿、本殿の奥に霊璽簿奉安殿(れいじぼほうあんでん)が設けられており、これが神社で一番重要なものである。しかしこれは昭和47年に建てられている。
戦後民間一宗教法人となった靖国だが、戦没者名簿を作ることは靖国には不可能だった。それには、遺族援護法により、厚生省引揚援護局が大きな役目を果たすことになる。

まず都道府県が戦没者原簿をもとに名票を作り、祭神名票を作成する。それを引揚援護局に送付し、ここで祭神簿を作成。これを靖国に送付し、それを元に霊璽簿が作られる。
また祭神簿からは合祀する旨の通知状が作られ遺族へ送られる。あわせて祭神簿は都道府県に送付され、合祀済のものを原簿に記入することになる。

靖国神社の根幹にかかわる祭神を選ぶという作業は、自身では出来ず、厚生省に頼らざるを得なかった。ここで国との密接な関係が生まれた。政教分離の原則からは問題となる事柄だった。

この引揚援護局の職員は、元軍人たちであり、公職追放の対象者もいた。ここでも政教分離の建前のウラで国と靖国は協力しあってきた。

戦争の犠牲者は、軍人や軍属だけでなく一般の国民にもいたわけだが、遺族援護法の遺族年金の給付と靖国神社に祀られる人の名簿がリンクしているために、多少の拡大はあるが、一般国民は対象になっていない。

今回の受講者の中に、父親が祀られているが、本人も母親も受講者自身もキリスト教であるため、合祀の取り下げをした男性がいました。しかし神社側はその要求を拒否したということです。合祀することは遺族の同意を必要とせず、神社側が勝手に自動的行い事後通知するものとなっている。

<戦犯の合祀>
逃亡者や刑死者、自殺者などは祀るか否かで議論になってきたが、最も問題になってきたのは戦犯の合祀であった。

戦犯はA級、B級、C級に分けられ、A級は平和に対する罪を問われたもので、ドイツはニュルンベルク国際軍事裁判所で、日本は東京の極東軍事裁判所で審理された。
戦勝国が敗戦国を裁くために定めた東京裁判の正当制についての議論は置いておき、A級200名、BC級5600名がリストアップされ、約1000名が死刑になっている。

こうした戦犯を合祀すべきかについては、神社と引揚援護局のあいだで検討が始めた当初は言及もされていない。ところが、昭和28年遺族援護法の一部改正により、こういう法務死の遺族にも遺族年金等が支給されるようになったところから、靖国神社に合祀される対象となった。

直ぐに合祀が行われたわけではなかった。昭和34年春にBC級戦犯の1部の合祀が慎重に行われるが、メディアも特に報道せず、秋の例大祭で第2陣が、39年から48年にかけて残りも合祀された。

<A級戦犯合祀>
A級戦犯については、長く保留になっていたが、それは戦後32年間宮司を務めた筑波藤麿が宮司預かりとしていたからと言われる。昭和53年に筑波が亡くなり、松平永芳が宮司に就任した3ヶ月後の秋の例大祭の折、千数百柱の中に14柱を入れて合祀した。
松平は東京裁判を否定しなければ、日本精神の復興はできないという考えを前から持っており、「A級戦犯の方々も祀るべきだ」と述べていた。また、そのため松平を推した力も動いていたとも思われる。

秘密裏に行われたA級戦犯の合祀は、半年後に共同通信の記者によりスクープされた。しかし、それほど大きな問題にはならなかった。これは現在では理解しがたいが、当時各地で起こった政教分離をめぐる裁判の影響で政教分離の問題が靖国にも影響していた。

<政教分離のもとで「靖国神社法案」は何回も廃案に>
日本遺族会も自民党も靖国神社の国家護持を望んでおり、「靖国神社法案」を5回提出しているが、廃案になっている。

これには、内閣法制局が出した「靖国神社法案の合憲性」という見解も大きな役割を果たした。それは「祝詞」は「感謝の言葉」に変え、「修祓の儀」や「御神楽」は別の形式にし、「拝礼」は2拝2拍手1拝にこだわらず自由な形式にし、神職の職名を変更し、鳥居の名称も検討する必要があるというものだった。
日本国憲法が定める政教分離のもとで靖国の国家護持を進めることは、根本的に矛盾したことなのだ。

あえて公式参拝を明確にして靖国神社を参拝したのは、昭和60年8月15日、中曽根康弘であった。しかし、参拝の形式は深く一礼したのみで、宮司のお祓いも受けなかった。
この時には、中国を初め、韓国、香港、シンガポール、ベトナム、ソ連などから批判の声が上がり、昭和53年のA級戦犯合祀では反発がなかったのに、結果的にこれも問題化した。中曽根は外国からの反発は予想外のことだったらしく、首尾一貫せず首相在任中には参拝することはなかった。

昭和天皇もA級戦犯合祀以降は親拝(参拝)することはなかった。

本来、靖国神社にとっては天皇の親拝がないのは、極めて憂慮される事態のはずであるが、A級戦犯合祀を積極的に行ったのは、松平宮司と共に厚生省援護局など国であり、問題を複雑にしている。

(あと1回続きます)


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靖国神社を見学してきました(1)

2014.08.19 23:46|未分類
8/16(土) これまでアンタッチャブルであった領域「靖国神社」を見学してきました。

1カ月500円也で視聴しているデモクラTVで、最近幻冬舎新書「靖国神社」を書いた宗教学者・島田裕巳氏本人に案内してもらって靖国神社に行こうという講座で参加者を募っていたからです。

8/9のデモクラ本会議に、島田裕巳氏が登場して、結構詳しくこの神社の成り立ちや変節を説明していたのを聞いて、これを逃すと一生行かない所だと考え参加してみようと思った次第。

もちろん 幻冬舎新書「靖国神社」 島田裕巳 を駆け足で読んで少々予習。
初心者は、この本の一読をお薦めします。 
成り立ちからこれからの問題点まで、恐らくここまで客観的に書かれたものはないのではと思わせます。これ一冊の知識で、これまで白紙で且つ疑問だった部分が上手く埋まった感じ。

当日は、靖国神社の大鳥居で25人ほどの参加者と出会い、この講座担当の池田香代子氏の案内と島田氏の説明で、1時間余り境内の碑や施設を一回り。その後軍事博物館として有名な幽就館(ゆうしゅうかん)を1時間ほど各自で自由に見学しました。

靖国神社は前日の8/15には、ご存知のように、英霊と祀られている人々の遺族や第二次大戦を肯定するナショナリストで大賑わいとなります。近くの武道館で行われている「全国戦没者追悼式」のラジオ中継が境内に流され、正午の黙祷もラジオに沿って行われ、首相や天皇の声も流されるそうです。

しかし、翌日16日の靖国神社は、夏休みのせいでかなり人出の多い、都会の大きな神社という感じに見えました。

この神社は、新暦の盆にあたる7/15に「みたままつり」を行い、「英霊」を慰めるための祭典が営まれるそうです。(仏教の盆と神道の融合については書籍参照)これには、浴衣姿の10代の少女いわゆるギャルが大勢集まるそうで、年配者は少ないとのこと。

大鳥居から本殿までの長く広い参道の両側には、屋台が何列にも立ち並び、後ろには「ヘビおんな」の小屋もあるそうで、ギャル達はここを「靖国神社」ではなく「みたま神社」だと思っていると島田氏。

そして、桜の名所でもあり、新年の初詣の神社の一つでもあります。

本に沿って簡単に「靖国神社」をご紹介します。

そもそも「靖国神社」の前身「東京招魂社」は、戊辰戦争で政府軍として殉じた約3500名を祀るために明治2年に創建された。官軍と呼ばれる政府のために戦死した兵士を顕彰し、まだ脆弱であった明治政府の権力の正統性を誇示する必要があった。

このように、ここでは祀られない者があり、国民を分断していて、現在の靖国がナショナリズムの象徴と見なされるのとはかなり違う性格であったことを忘れてはならない。

明治10年に西南の役が起こり、その後直ぐに「靖国神社」と改称されてから、幕末の勤王志士を合祀するよう求める声が上がった。これを「惟新殉難者」と呼び、さらに「国事殉難者」と呼ばれるようになった。ここから後に「昭和殉難者」ということばが生まれ、狭義のA級戦犯を意味することになる。

政府が強固になるにつれて、「惟新殉難者」が合祀されたりして対象者が拡大していくことになり、これが靖国神社の変容の第1段階だとしている。(ここまで合祀者数1万5874名)

その後、日清・日露という対外戦争に突入し勝利したことで、祀られる対象が日本人全体となる。こうして靖国神社が国民全体の施設に変貌していくことを変容の第2段階としている。(日清・日露戦没者 10万3304名)
戦没者の増加は遺族の増加を意味し、参拝者の数も増えていく。

その後、昭和10年代までは、新たな戦没者もそう多くなく、東京市民の憩いの場として、相撲の奉納や能楽、花火や武術の披露なども行われている。

昭和12年に日中戦争が起こり戦没者の数が年々多くなるが、初期は戦勝気分が続き、昭和17年の春の大祭には、3万人の遺族が国からの無賃乗車券を使い全国から集まり、宿舎を提供され、歌舞伎の鑑賞や皇居の観光なども行われていた。こういうことによっても、靖国は広く浸透していく。

この頃から、この神社は国威発揚のために積極的に活用されていく。
例えば、少年倶楽部、少女倶楽部では、「靖国神社の英霊に捧げる文」という懸賞作文の募集が行われ、主婦の友は「軍国の母」の表彰を行った。天皇を現人神とし、神国、神風ということばが教科書に載るようになる。

現人神としての天皇を信仰の対象とし、天皇によって統治された日本国を神聖とし、武力による領土拡張を聖戦とする体制の中での靖国は、単に戦没者の慰霊を行う施設にとどまらず、国のため天皇のために戦死を遂げ、英霊として祀られるという目的を実現させるための、軍国主義的性格の強い施設に変貌した。

名誉の戦死がもて囃され、「死んで靖国に祀られる」ことが戦地に行く若者の合言葉となり、祀られることを目的とさせるような施設に変容し、軍国主義体制を支える重要な役割を果たすことになった。これが変容の第3段階である。  (島田裕巳「靖国神社」より)

(続きます)



元中電役員、元関電副社長 政界への裏金について語る

2014.07.28 23:25|未分類
朝日新聞が、過去の中部電力の政界(県知事や地元国会議員)への裏金授受について独自のスクープを続けています。そして本日も大スクープです。

*中部電力、政界に裏金2.5億円 元役員が証言 (7/20 朝日
*(原発利権を追う)知事選は建設会社、便利な裏金だった (7/20 朝日
*中部電、4県の知事候補に裏金 愛知前知事認める (7/21 朝日
*(原発利権を追う 裏金システム)本店9階、書庫で現金管理 業者、長く深く中部電接近 (7/22 朝日
*(原発利権を追う 裏金システム)2人の議員側に1億4000万円 (7/23 朝日)

中部電力の元役員が朝日新聞に証言したところによると、その元役員は2004年までの20年間に、中部地方4県の知事選挙候補や中部地方の国会議員などに、取引先の建設会社等に工面させた資金を、簿外で管理して現金で渡していた。少なくとも2億5千万円。建設会社には見返りとして原発関連工事等の発注額に上乗せしたとのこと。
政界対策資金が電気料金で賄われた可能性がある。

資金協力したとされる会社のうちの1社の元幹部は大筋で事実関係を認めている。が、中部電力は承知していないとし、他の会社はその事実を把握していないと認めていない。

この裏金問題を元役員が口にしたのは、8回目の取材から。 この裏金問題は刑事事件としての時効が成立しているが、実名証言だけは断った。
(この件につき、デモクラTV本会議では、贈収賄罪には時効を適用しない法改正を野党が議員立法で提出すれば与党も反対できないのではないかという提案がありました。時効があるので元役員が話す気になったのではと思うのですが?? 上手くいくのならこれから捜査して罪を問いたいですね。 また中部電力に説明責任があるが、朝日は調査報道で頑張ったが、一社では限界があるので、他社の追随と市民の頑張りが必要とのこと)

また、この証言の裏付けとして、神田真秋前愛知県知事が、1999年の知事選告示前に金額は記憶にないが受け取ったと授受の一部を認めている。
元役員は、計1億4千万円を2人の国会議員にも配ったと証言した。首相経験者から依頼され学生を中部電力に入社させたこもあり、政治家を押さえれば霞ヶ関にいも影響力を行使出来ると語った。議員秘書は授受を否定。

裏金は芦浜原発の立地に関して、地元漁協の反対派の切り崩し耕作、賛成派のつなぎ留め工作にも使われた。元役員は裏金を使わなくてすむ時代は来ないと思うと語った。


関電、歴代首相7人に年2千万円献金 元副社長が証言 (7/28 朝日

本日の朝日の続報は、関電の元副社長・内籐千百里氏が、1072年から18年わたり、歴代首相7人に年2000万円、政界全体に配った資金は年間数億円に上った。原発政策の推進や電力会社の発展が目的で、原資はすべて電気料金だったと実名で明らかにした。

リンクの動画で、何故今話そうと思ったのか?に内籐氏答えて、「原子力発電所、安全と思ったことがないんです。時代に逆行することは出来ない。正しいことは、言うておかないとあかんなあという、そういう素朴な、死を前にした気持ちじゃないですか。」

歴代首相は、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘、竹下登の7人。 関係者が否定する中で、大平元首相の会計担当だった小国宏氏はその授受を認めた。

内籐氏への取材は昨年12月から今年7月まで23回、69時間に及んだ。実名での報道は拒んでいたが、しだいに軟化、動画の撮影にも応じた。東電福島事故を機に心境が変化したという。「なぜ今も汚染水をコントロールできないのか。地質調査をしたはずなのに、なぜ地下水の影響が大きい場所に原発を建てたのか」
「政府の監督の甘さがあった。長年築いてきた政官電の関係に問題があった」と感じ、みずからの足跡をたどって戦後の三者の関係を再考したいと思った。

本日の報道ステーションでも取り上げられました。

朝日新聞の記事は追記に

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2/24 ニッポンダンディで岩上氏が東日本大雪について語る

2014.02.25 21:41|未分類
2/24 TOKYO MX ニッポンダンディ

IWJ 岩上安身氏が東日本大雪について語りました。

2/21 朝日新聞によると、関東、甲信から東北を襲った大雪は、20日時点で群馬、埼玉、山梨、東京で483世帯が孤立し、農業の被害総額は10都県で約255億円にのぼったそうです。特別警戒を出さなかった気象庁は20日、基準を変えるつもりはないとしつつも、予測は不充分だったとコメント。 発表について改善を検討することを明らかにしたということです。 by 町亜聖

岩上:
今回の政府と各県の知事とメディアの対応だが、2/14から雪が降り始めた。 14、15、16のバレンタインの週末の雪が大変だった。 
この週末安倍総理は何をしていたのか。
14日の「関係省庁災害警戒会議」は、予報はこんな感じですよという会議で、古谷防災大臣が出ているが、安倍総理は出ていない。 官邸で羽生選手に電話した後、官邸に詰めることもなく帰宅している。 16日は私邸に留まり、夜に高級天ぷら屋に行っていることが批判されている。

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安倍総理はソーシャルメディアをよく使っていらしゃる。 官邸のfacebookやツィッターは最大90万人もフォロワーがいる。 ところが、14日から16日に一切情報発信がなかった。全くお休み状態。
この間雪に閉ざされて車の中で凍死した方も出ているのに、信じがたい。

NHKもずっと沈黙を続けた。 
放送法で定められている災害報道をしなくてはいけないのに、(普段台風とかを大騒ぎで報道するのに by 町)やらなかった。 経営委員の問題もあるが、責任重い。
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山梨の人は大変に怒っていた。 自民党の人に聞いたが、山口・島根で豪雨があった時、総理はfacebookやツィッターで当日に最大級の警戒と言い、直ぐに自ら被災地を視察した。 何だこの違いはと山梨の人は怒っている。
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各自治体の長も頼りないところがあって、奥多摩で1200人孤立していていて、昨日、10日たってようやく孤立が解消した。 
この間新しく都知事になった舛添さんは、世界一の防災都市にすると言いながら、15、16日は登庁しなかったし、面談も20日の1回のみ立川でだけで、全く現地視察をしないでソチへ行ってしまった。
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もっとひどいのは 埼玉県の上田知事。 秩父市は大変な豪雪になりピンチということで、再三、県に自衛隊派遣を頼んだがすべて断わられ、それで、秩父市長はHPに「断られています。大変な窮地にあります。」という悲鳴のブログを立ち上げ、それで事態がわかった。 

その時、上田知事は何をしていたのかというと、クイズに出ていた。(大笑い)
(それは副知事に任せてたらいいだろうという・・・by 町)
しかも、勝ってしまったのが県職員で構成するチーム。 前回優勝チームが雪のために来られなかったので、事態を皆知っていた。 なのにクイズにずっと出ていて、しかも自衛隊派遣を断っていた。
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しかし迅速に動いた知事もいた。 男を上げた人もいた。 新潟県の泉田知事。 何と自分のところはさしたる雪害はなかったが、何しろ雪慣れしていて、除雪車を持っている、作業員も職員もいるということで、16日に派遣を決定し、18日に埼玉、山梨に除雪車を持って行って除雪をして、自衛隊以上の活躍ではと言われた。
これをNHKは取り上げない。 山梨の人はこれを大変に感激していた。
よく考えると、(山梨は)武田信玄の地元で、新潟は上杉謙信の地元であって、敵に塩を送るという故事があったところだから、上杉謙信、田中角栄、泉田知事とまでいわれるほど、リスペクトされている。
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何故マスコミは報道しなかったのかというと、ソチと重なったことが大きかったことと、政府が全く対応しなかったので、事が大したことないと思いこんだこともあるかもしれない。
 
山梨の人たちがNHK山梨支局に、もっとちゃんと報じてくれと電話したが、NHK山梨支局の人が言うのには、中央に言っているが聞き入れてくれない。 本放送で全然流さないと、自分たちではどうすることも出来ないという声が寄せられていた。 吸収すべきことが多い。

**********
大雪の週末にツィッター上で、あちこちの大雪の情報がとびかっているのを見ました。
いつもなら、たいした雨でもないのに、画面に「~注意報」と大袈裟に注意勧告を出すテレビが、オリンピック画面を穢してはならぬとばかりに、全く情報発信をしないことにとても違和感を感じていました。

泉田知事もツィッターで助っ人派遣の情報を出していたし、山梨のある市長さんも上手にSNSを駆使して、一般市民の情報を吸い上げて、細かく除雪をしてました。 

大雪ということで、車が立ち往生したり孤立する人があったりすることは、想定外のことなんでしょうかね。
原発以前の問題として、災害時の避難計画や救助計画が全くないように見えますけれど。

原発立地や近隣の市町村は、早急に避難計画を立てて、訓練をすべき。 安定ヨウ素剤も用意すべき。
そうでないなら、再稼働を許してはなりませんね。


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