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2/25 そもそも総研 『政治的に偏った放送は、政府に処分されても仕方ないの?』

2016.02.25 23:35|2016 そもそも総研
報道ステーションの古館降板問題があり、モーニングショーのコメンテイターに社員の玉川徹氏が毎日出演するようになり、このところすっかり毒気をぬかれて生ぬるいテレビ朝日の「そもそも総研」。
どうやらこれを面白くないと思う視聴者が少なからずいたのか、或いは番組制作の過程でも政府の意向に足並み揃えようという意見があったのか、それらに反応したかのように、本日は久しぶりに玉川氏が吠えました。

高市総務相の放送界に対する高飛車な恫喝に憤慨するとともに、放送法について知りたかったので、久しぶりに文字起こしに挑戦してみました。(逐語起こしでなく、語尾など省略あり)



2016/2/25 そもそも総研『政治的に偏った放送は、政府に処分されても仕方ないの?』


* * * 今「放送法」が国会で議論に * * *

玉川: 今国会で、この「放送法」について議論が交わされている。
どういう話かと言うと、高市総務大臣の質疑をご覧下さい。

動画 (衆院予算委員会 2/8)
高市: 「基本的には、放送事業者が、やはり自律的にしっかりと「放送法」を守っていただくということが基本であると・・・」

奥野総一郎衆院議員(民主): 「「放送法」がもし恣意的に運用されれば、政権に批判的な番組を流したというだけで、業務停止をしたり、その番組を止めてしまったりということが起こりると思う。ですからここで明確に否定していただきたいけれども・・・」

高市: 「全く改善されない、繰り返されるという場合に、全くそれに対して何の対応もしないということを、ここでお約束するわけにはまいりません」 「違反した場合には、罰則規定も用意されていることによって、実効性を担保すると考えておりますので、全く将来にわたってそれがあり得ないということは断言できません。


玉川: 今政府の解釈では、「放送法」によれば、いわゆる偏った放送をした場合には電波を止めることが出来るよと言っている。

高市氏の発言のパネル
“放送局が自律的に「放送法」を守るのが基本だが、何度も行政指導をしても偏った放送を繰り返した場合電波停止の可能性も“(2/8)
偏ったかをどうやって判断するのか?
“番組全体を見て判断するが、番組全体は1つ1つの番組の集合体、1つ1つの番組を見て判断”(2/12)

だから、例えばこのそもそも総研が偏っていると政府が判断した場合には、この番組を止めるぞというようなことがあり得るということを言っている。

* * *  「放送法」にある不偏不党の意味とは?  * * *

ああそうなんだ。 そこで元々この「放送法」はそういう風に解釈できるという話だったので、そもそも「放送法」ってどんな法律なんだろう?ということを取材した。
今回、放送法の専門家・専修大学の山田健太教授と、実はこれは憲法が絡んでくるので、憲法の専門家・首都大学教授の木村草太教授のお二人に、本当に偏った放送をしたら電波を止められるという法律なのかと聞いている。

玉川:そもそもなんですが、「放送法」の目的というのは何なのか?

山田: ずばり、政府からの自由、国家からの自由。 戦争中に言論弾圧があったので、それを反省して何とか言論の自由を日本の社会に根付かせて、民主主義を発展させようと、そのために放送の自由をきちんと確保することが大事だということになり「放送法」が出来たという経緯がある。 

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どうしても放送の場合には、電波の免許制度というのがあって、国が関与する部分が出てくる。だから政府の介入を避けるために、自由というのを大事にしなければいけない。 それをきちんと法律で決めていきましょうというのが目的。

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玉川: 「放送法」の建て付けの部分、まず第1条には何が書かれているのか。

山田: 大きくは2つあって、1つは、国は放送の自由をきちんと保障しなさいということ。もう1つはその下で放送人・放送に携わるすべての人は、放送の自由を守って民主主義を健全に発展させていくために頑張りなさいということが書いてある。

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玉川: 第1条の2項に、

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不偏不党を保障することによって、表現に自由を確保することある。 不偏不党を保障するのは、国が保障するんですよね。 何で国が不偏不党を保障することにより、表現の自由を確保ということになっているのか?

山田: 不偏不党という言葉が曲者だと思う。 不偏不党というのは、きちんと党派性を排除して、一定の政党は政治的な考え方に偏らないということを意味している。
まさに、“政府の考え方に寄り添うような報道をしてはいけません。”“政府はそういうことを強制してはいけません”という意味合いでの不偏不党である。

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玉川: 不偏不党というと一般イメージとしては、片方だけの主張をして偏っているじゃないかだからダメなんだという話になるが、この2項はそういう意味ではないんですか?

山田:違います。 主義主張や事実や意見というのは自由。 あくまでも“ある政党に属するような活動をする”或いは“政府がある一定の意見を強制する”ということがあってはいけない。 まさに独立性という話です。

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(説明) 「放送法」の3条には、「番組は法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」とある。

これは“名誉毀損やプライバシーの侵害などの基本的人権や、著作権違反や猥褻などの他の法律に抵触しない限り、誰からも干渉されることなく、自主独立が守られるという意味だ“と山田教授は解説する。

では「放送法」4条は?

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玉川: 「放送法」の目的はあくまで「政府や権力からの自由」ということでずっと続いてくると、では第4条で“政治的に公平じゃないとダメ”とくるのはどうなのか。政治的に公平でないから電波止めますよというのは、その前段の目的と違うような気がするが。

山田: あくまでこの4条は、1条に書いてある放送時の職責が書いてある。
すなわち、放送局が視聴者に対する約束事としてある。自立報道であるとか、政治的公平であるとか、多角的論点の提示だとか、きちんと視聴者との間で守りなさいと、

玉川: 4条は、専門家の間では倫理規定だと。この4条に基づいて行政指導というのは違うと言われている。なぜ4条が倫理規定だという話になってしまうのか?

山田: もし4条を法的拘束力があると、法規範だと考えてしまうと、憲法21条「表現の自由」とバッティングしてしまう。 正面からぶつかってしまう案件。 ですからこれは倫理規定と考えざるをえない。「放送法」の1条で放送の自由を守りましょうと書いてある。 にもかかわらずそのすぐ後ろの4条で、放送の自由は色々な制約があると書いてあると法律の中で矛盾してしまう。

(説明) 憲法にある表現の自由との関係から、“仮に4条(政治的公平)に反しても、政権から法的拘束力は受けない“と山田教授。では憲法の専門家はどう考えるのか?

玉川: 日本には憲法で認められた表現の自由がある。 だが、政治的公平に反した場合には、いわゆる業務(停止)命令もできるというのは、表現の自由に反する法律のような気がする。 何故表現の自由の憲法のもとで、この「放送法」が合憲だと考えられてきたのか?

木村: 報道の自由があるから、“規制することは原則憲法違反である”これが原則になる。 ただし、まず放送メディアは数が少なくて特権的な立場にあり、その情報は正確で公平なものでなければいけないという説明がある程度つくということ。 

それから「放送法」4条というのは、あくまで規制の根拠でなく倫理規定であり、この規定に仮に違反したからと、即座に何かの規制に繋がるというようなものではない。 メディア内部の倫理で守っていくものという解釈をされてきたので、規制の対応そのものも非常に弱いということで、憲法違反ではないだろう、合憲性が説明できるだろうと言われてきた。

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玉川: すると逆にこの4条を使って規制ができるようになると、ここは憲法の問題としておかしいのではないかという話になってくる。

木村: 当然そうなるし、4条を根拠に規制することは、そもそもそういうふうに法律を解釈してはいけないし、そのような法律の解釈の仕方というのが憲法違反であると、専門的に言うと、そういう処理になります。

玉川: という話。 私も今回改めて「放送法」を見てみたが、1条では目的が書いてある。目的は放送を健全に発達させることが目的で、その目的のために放送の不偏不党を保障することによって、表現の自由を確保するとなっている。

初め読んだときよく分からなかった。 この不偏不党を保障するのは誰なんだ?国なんだそうです。 
国が不偏不党を保障するとはどういうことだ。 これは例えば放送がある政党からこういう風にやれと強制されてそれをやってしまうと。こういうことを国はさせないよという意味で、つまり権力で何かをやれと言われたことから自由にするための不偏不党だと、これで表現に自由を守るということになっている。

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目的がこうだから、4条で放送というのは、編集に当たっては、政治的に公平であることを守れと書いてある。これを理由に電波を止めるとなるとそもそもの目的に反してしまう。
だからこれは倫理規定だと。 これは分かりましたか?

法律の建て付けはこうだ。 日本以外ではどうなのか? 表現の自由を憲法に書いてある国、例えばアメリカはどうなっているのか? アメリカではこの政治的な公平原則はかつてあったが、撤廃された。 何故かと言うと、憲法に違反するからだと。
どういうことなのか?

* * * 「政治的公平」の意義とは?    *  *  *

「放送法」に詳しい上智大学・音好宏教授: 連邦最高裁判所でこれはおかしいと、憲法(表現の自由)に抵触するからという理由で撤廃をした。 アメリカでは公平原則事体が邪魔ということで撤廃をした。

(説明) アメリカの憲法の修正第1条に、言論・表現の自由が謳われている。1984年連邦最高裁判所判決には、公平に両論併記をすること自体が表現の自由を妨げている、との判決を出した。その背景には一体何があるのか。

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: メディア環境が変わっているのだから、多様な意見を出す環境はできている。

(説明) アメリカではケーブルテレビ局などの拡大で多チャンネル化が進んだ。1つの局が1つの主張を続けたとしても様々は言論の場が確保できるようになったため、最高裁は本来の“憲法の精神である「表現の自由」を尊守すべき”という判断をしたと音教授は指摘。

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: Aの意見ではないBの意見とかCやD、色々な意見が出てくることが、多様な意見を社会の中で担保することになる。逆に公平原則が存在すること自体が、多様な意見が出てくることを阻害することになるという考え方。

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玉川: そうすると、Aと言って、Bも入れろと言って来ても、それは別のところでやってもらえる環境になったのだから、Aの意見だったらAを言うだけで良いと。それが表現の自由なんだということなんですね。

音: はい。

(説明) アメリカでは1987年に撤廃された「公平原則」。日本にはこの原則が今も生きている。 そのことにはもう1つの意味があると山田教授は指摘する。

玉川: あくまで「放送法」というのは権力からの自由、自立を謳っているものだから、TV局は勝手にどんどん進んでいけ、主張しろという解釈はどうか?

山田: 放送局とは、一番大事なのは自分たちが面白いと信じる番組を作っていくこと。 ただし必ず間違いはある。 或いは場合によっては誰かを傷つけることもある。 その場合には政府に言われたからそれを止める、反省するのではなく、まずは自らそれをきちんと反省していくということが大事だと思う。 それが自主・自立という考え方だと思う。

玉川: そこで「反省なんかしない」となると結果的に評価は得られず認められないということになる。

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山田: 当然そういう番組は見られなくなるわけだし、番組によっては日本の仕組みだとスポンサーがつかなくなってしまうかもしれない。 この「放送法」はアクセルとブレーキが両方書いてある。 基本的には「表現の自由」はアクセル。 自由にどんどん報道しようよという話だから。だが、やはり当然ながら強いアクセルを踏み込みすぎるとスピードが出すぎて危険なこともあるから、その時にやはり高性能なブレーキが必要なわけだ。
4条の4つの基準
・ 公安・善良は風俗を害さない
・ 政治的公平である
・ 事実報道をする
・ 多角的に論じる
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を基にして、きちんと適切なブレーキを踏んで、良い番組を作っていきましょう。そういう仕組みになっている。

玉川: スピードが大して出ていないのに、お上から止まれと言われるのではなく、ちゃんと自分たちでブレーキを踏めよということか?


山田: そうです。 お上から言われるのはブレーキとは言わない。自分で踏んでいるのではないから。 あくまでもアクセルもブレーキも全部自分で踏まないといけない。

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(説明) ではTV局にとってのアクセルとブレーキとは?

高木: 番組が偏っているというのは誰がどういう基準で決めるのか。 いろいろなものの見方があり、いろいろな立場から考えるのは当たり前。 日本の番組はアメリカの番組に比べて、非常に親切に気を使って放送しているのが分かっておもしろかった。
ある議員さんに、日本のいくつかのTV局は自分たちが嫌いなんですねと言われた時に、報道というものは権力に対してエッジを立てなければいけないのであって、お宅のことが嫌いというわけではないという説明をしたが、今その説明でよかったんだなあと思った。
玉川: どういう政党が権力を持っていたとしても、その権力に対して私達はチェックするということでやっている。
羽鳥: TV局の立場としてはエッジを立てることは大切だが、立て方も大切だ。やりたい様に何でもやって良いのかと言うと、そこはちゃんと考えなくてはいけないところはある。
玉川: たぶんやりたい様にやったら、もうそのTVは見られなくなり、結果私達は放送できなくなるというものだと思う。

今日のむすび: 権利と評価は自ら勝ち取るべきもの

表現の自由も基本的人権だが、何となく与えられた感があるわけだ。しかし、素晴らしいものを与えられたとしても、既にそれが脅かされるような状況になったら、やはり勝ち取っていかなくてはいけない。

同時に「放送法」の4条で、評価というものも勝ち取っていかなくては番組なんか続かない。 
だから私はこの番組を改善して、常に良いものにして届けていく。 勿論考えているのは視聴者。
そういうことでやっていけば、お上に電波止めろなんて言われるような話ではないと私は思うが、(高木:そんなケンカ越しにならなくても・・)いやいやいや、戦うときは戦うということです。 皆さん、いかがでしょうか?

(完)

さすがに民主主義の括弧つき大国であるアメリカでは、多くの選択肢を実現したところで、『多様な意見を社会の中で担保することになる。 逆に公平原則が存在すること自体が、多様な意見が出てくることを阻害することになるという考え方。』だということを初めて知りました。

そもそも日本では、記者クラブ制度があり、仲良しクラブ以外のメディアの取材の自由が確保できていません。
戦時中に出来た記者クラブ制度のぬるま湯につかっているテレビメディア、大手新聞メディアに脅しをかけるなんて、何だかお手盛りの茶番劇に見えますが。

また、この20分の番組中に5分のコマーシャルが入り、その数は5つ。 いかにこの番組への視聴者の期待を製作側も感じているのが分かります。
schnauzerは最近ほとんどTVを見ませんが、だらだらと付けっ放しにせず、「そもそも総研」でもおもしろくなければ、途中で切るという手段は有効なのではと感じた次第。
羽鳥氏がエッヂの立て方も問題だと語っていましたが、彼のようにおかしな公平をモットーにして、エッヂが効かずに視聴者が減り、スポンサーがなくなれば、権力に迎合しても経営が成り立たなくなりますから。

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