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靖国神社を見学してきました(1)

2014.08.19 23:46|未分類
8/16(土) これまでアンタッチャブルであった領域「靖国神社」を見学してきました。

1カ月500円也で視聴しているデモクラTVで、最近幻冬舎新書「靖国神社」を書いた宗教学者・島田裕巳氏本人に案内してもらって靖国神社に行こうという講座で参加者を募っていたからです。

8/9のデモクラ本会議に、島田裕巳氏が登場して、結構詳しくこの神社の成り立ちや変節を説明していたのを聞いて、これを逃すと一生行かない所だと考え参加してみようと思った次第。

もちろん 幻冬舎新書「靖国神社」 島田裕巳 を駆け足で読んで少々予習。
初心者は、この本の一読をお薦めします。 
成り立ちからこれからの問題点まで、恐らくここまで客観的に書かれたものはないのではと思わせます。これ一冊の知識で、これまで白紙で且つ疑問だった部分が上手く埋まった感じ。

当日は、靖国神社の大鳥居で25人ほどの参加者と出会い、この講座担当の池田香代子氏の案内と島田氏の説明で、1時間余り境内の碑や施設を一回り。その後軍事博物館として有名な幽就館(ゆうしゅうかん)を1時間ほど各自で自由に見学しました。

靖国神社は前日の8/15には、ご存知のように、英霊と祀られている人々の遺族や第二次大戦を肯定するナショナリストで大賑わいとなります。近くの武道館で行われている「全国戦没者追悼式」のラジオ中継が境内に流され、正午の黙祷もラジオに沿って行われ、首相や天皇の声も流されるそうです。

しかし、翌日16日の靖国神社は、夏休みのせいでかなり人出の多い、都会の大きな神社という感じに見えました。

この神社は、新暦の盆にあたる7/15に「みたままつり」を行い、「英霊」を慰めるための祭典が営まれるそうです。(仏教の盆と神道の融合については書籍参照)これには、浴衣姿の10代の少女いわゆるギャルが大勢集まるそうで、年配者は少ないとのこと。

大鳥居から本殿までの長く広い参道の両側には、屋台が何列にも立ち並び、後ろには「ヘビおんな」の小屋もあるそうで、ギャル達はここを「靖国神社」ではなく「みたま神社」だと思っていると島田氏。

そして、桜の名所でもあり、新年の初詣の神社の一つでもあります。

本に沿って簡単に「靖国神社」をご紹介します。

そもそも「靖国神社」の前身「東京招魂社」は、戊辰戦争で政府軍として殉じた約3500名を祀るために明治2年に創建された。官軍と呼ばれる政府のために戦死した兵士を顕彰し、まだ脆弱であった明治政府の権力の正統性を誇示する必要があった。

このように、ここでは祀られない者があり、国民を分断していて、現在の靖国がナショナリズムの象徴と見なされるのとはかなり違う性格であったことを忘れてはならない。

明治10年に西南の役が起こり、その後直ぐに「靖国神社」と改称されてから、幕末の勤王志士を合祀するよう求める声が上がった。これを「惟新殉難者」と呼び、さらに「国事殉難者」と呼ばれるようになった。ここから後に「昭和殉難者」ということばが生まれ、狭義のA級戦犯を意味することになる。

政府が強固になるにつれて、「惟新殉難者」が合祀されたりして対象者が拡大していくことになり、これが靖国神社の変容の第1段階だとしている。(ここまで合祀者数1万5874名)

その後、日清・日露という対外戦争に突入し勝利したことで、祀られる対象が日本人全体となる。こうして靖国神社が国民全体の施設に変貌していくことを変容の第2段階としている。(日清・日露戦没者 10万3304名)
戦没者の増加は遺族の増加を意味し、参拝者の数も増えていく。

その後、昭和10年代までは、新たな戦没者もそう多くなく、東京市民の憩いの場として、相撲の奉納や能楽、花火や武術の披露なども行われている。

昭和12年に日中戦争が起こり戦没者の数が年々多くなるが、初期は戦勝気分が続き、昭和17年の春の大祭には、3万人の遺族が国からの無賃乗車券を使い全国から集まり、宿舎を提供され、歌舞伎の鑑賞や皇居の観光なども行われていた。こういうことによっても、靖国は広く浸透していく。

この頃から、この神社は国威発揚のために積極的に活用されていく。
例えば、少年倶楽部、少女倶楽部では、「靖国神社の英霊に捧げる文」という懸賞作文の募集が行われ、主婦の友は「軍国の母」の表彰を行った。天皇を現人神とし、神国、神風ということばが教科書に載るようになる。

現人神としての天皇を信仰の対象とし、天皇によって統治された日本国を神聖とし、武力による領土拡張を聖戦とする体制の中での靖国は、単に戦没者の慰霊を行う施設にとどまらず、国のため天皇のために戦死を遂げ、英霊として祀られるという目的を実現させるための、軍国主義的性格の強い施設に変貌した。

名誉の戦死がもて囃され、「死んで靖国に祀られる」ことが戦地に行く若者の合言葉となり、祀られることを目的とさせるような施設に変容し、軍国主義体制を支える重要な役割を果たすことになった。これが変容の第3段階である。  (島田裕巳「靖国神社」より)

(続きます)



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