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日印原子力協定について (1)

2013.06.04 21:41|原発輸出
5/27 インドのマンモハン・シン首相の来日に合わせて、市民団体が日印両首相に交渉停止を求める要望書を提出、その後の記者会見をIWJの録画で見ました。

この中で、上智大学・南アジア研究センター・福島正明氏が、日印原子力協定の歴史と問題点について手短に語って下さっていましたので、要約しながら少し学んでみました。

5/27 日印原子力協力協定に向けた交渉停止を求める要望書提出と記者会見 
主催 ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン事務局

上智大学 南アジア研究センター 福長正明氏

2010年の動き
2010年6月に日印原子力協定の交渉が始まった時(野田政権)、メディアは大きく取り上げ反対、地方メディアは明確に反対した。 その年、長崎の平和宣言の中に日印原子力協定に反対であると明記された。
このことはインドにとっては非常にショックだった。

インドでは日本は、広島、長崎から復活して新しい技術をもって頑張っている国という認識で、毎年8月には国会で追悼の決議とか追悼の集会が行われる。 
原爆や核兵器に対しての知識はあまりないが、広島、長崎という重い存在を知っていて、日本の技術はほしいが、その部分でなかなか難しいということも知っている。

60年代~80年代  外務省NPT
70年代初めにNPT核拡散防止条約ができ、インドは不平等条約ということでこれを拒否。
そして、カナダとアメリカから技術協力を受けていた原子力燃料と技術によって、74年に核実験を行った。計画的核爆発と言い方をしている。

冷戦下、インドは社会主義路線を進み、親ソ政権。 ソビエトとの友好関係の中にあったので、当然日本からすると、すっぽり落ちる。インドというのは日本からすると関心のない、むしろ1952年にサンフランシスコ講和条約をけとばして、単独講和を結んでくれた有難い国、東京裁判のパール判事、ネール首相というところで、対印関係の記憶はすっぽり落ちている。

60、70、80年代、日印関係は進展していない。

原子力供給国グループNSG設立  外務省NSG概要
74年の核実験に対して、NTPに入らないで核実験をするなんてとアメリカが憤り、主導して原子力供給国グループNSGを作る。 非常に細かい、貿易、技術移転などに関するガイドラインを作った。
おかしな話だが、インドを規制するために作った。アメリカが作ったので、日本は必死になってこれを守っていた。 90年代まで、インドからの原子力関係者の留学や会議への参加は拒絶。ビザの発給もしなかった。

インドはこつこつと核開発、核燃サイクル-インドは質の悪いウランしか採れないので燃料を買ってこなければならない-そのため、トリウムのサイクルを作ろうとしている。 今三段階の二段階に今いるが、三段階が完成すると、自分たちでトリウムの核燃サイクルが実現出来るであろうというところまで来ている。

1998年核実験
90年代に冷戦が終わり、インドにとっては後ろ盾であったソ連がなくなる。それ以降どこかにしがみつかないとならない。 アメリカは気がついてくれない。その中で98年に核実験を行った。持っている持っているけれども使わないのがインドだと 24年間言ってきたが、インドだって核実験できるのだと皆に見せて驚かせた。
これが予想外にパキスタンの核実験を誘発してしまった。

98年以後南アジアは、パキスタンとインドという敵対する核兵器保有国が隣り合わせで対立するという、非常に厳しい情勢。 2000年代初めには、今度パキスタンの首相になるシャリフが発射台のボタンを押す寸前までいったということもあった。

日本は98年の核実験に対し、いわゆる人道援助以外のODA政府開発援助や融資を行わないという制裁を課し、その後も核実験はいけないと言い続けてきた。
しかし、2001・9.11の後、何の議論もなくパキスタンと同時にインドへの経済制裁は解除された。

印米原子力協定
ブッシュ政権になって、アメリカは主導してインドへ核協力を行うようになった。どういうことかと言うと、アメリカは原発を売りたい。そのためには、先ほどのNSG そしてIAEAの承諾を得るか、NPTに入らせるか。 

インドは、NPTには絶対に入らない。 そこで、NSGの中で長い交渉があり、印米原子力協定ができ、それを実行するためにNSGの中で例外措置が決まる。 そして、IAEAの例外措置が決まる。

推進論者のウソ
日印原子力協定の推進論者は、ここのところで嘘をつくが、NSGというのは紳士協定、であり全会一致で決める。常設機関ではないので、話合いが決裂したらそこで消えてしまう。
インドの問題をめぐって、 北欧、オーストラリア、ニュージーランドあたりの国々が猛烈に反対し、日本もかなり強力な疑義を国会表明National Statementとして出しているはず。
そこで何が決まったかというと、NSGをこわしてはいけないから、ここは一旦認めよう。しかし、インドとどう付き合うかは、各国が決めなさいよということ。 国際社会がインドへの核協力を認めたということではない。各国がきちん自分たちで考えなさいよということを認めた。 ここが推進論者のかなり嘘の部分。

インドへの核協力しようとする推進論者の第一世代(80年代後半)の論拠は、対中牽制説。インドの北に中国があり、インドに核兵器が向いていて、チベットに核ミサイル基地があるので、インドに協力しなくてはいけないというもの。

2000年代 自民党の立ち位置
2000年代に入って、国際的な原子力産業界の不況、そしていわゆる原子力ルネッサンスと呼ばれる中で、インドが原発を作るとなると巨大市場になることが分かり、アメリカは協定を結ぶが、日本はまだ無理だろうと。
05年の小泉訪印から毎年首脳会議をすることになり、その度にインド側メディアは日本が原子力協定を認めるかで賑わっていたが、日本ではほとんど議論されなかった。

小泉、安倍、福田、麻生まで、やはり唯一の被曝国としての国民感情からして、NPTにも入っていないインドと原子力協定はできないと、これには国民的議論が必要と断ってきた。
自民党政権の中では日印原子力協定に二の足を踏んでいた。

(2)に続く


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