プロフィール

schnauzer

Author:schnauzer
脱原発にめざめました。
再生可能エネルギーにも大いに興味あり。
学んだこと、見聞きしたことを綴っていきます。一緒に考えませんか?

カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

フリーエリア

最新記事

カテゴリ

全記事表示リンク

全ての記事を表示する

リンク

検索フォーム

RSSリンクの表示

スポンサーサイト

--.--.-- --:--|スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2/25 そもそも総研 『政治的に偏った放送は、政府に処分されても仕方ないの?』

2016.02.25 23:35|2016 そもそも総研
報道ステーションの古館降板問題があり、モーニングショーのコメンテイターに社員の玉川徹氏が毎日出演するようになり、このところすっかり毒気をぬかれて生ぬるいテレビ朝日の「そもそも総研」。
どうやらこれを面白くないと思う視聴者が少なからずいたのか、或いは番組制作の過程でも政府の意向に足並み揃えようという意見があったのか、それらに反応したかのように、本日は久しぶりに玉川氏が吠えました。

高市総務相の放送界に対する高飛車な恫喝に憤慨するとともに、放送法について知りたかったので、久しぶりに文字起こしに挑戦してみました。(逐語起こしでなく、語尾など省略あり)



2016/2/25 そもそも総研『政治的に偏った放送は、政府に処分されても仕方ないの?』


* * * 今「放送法」が国会で議論に * * *

玉川: 今国会で、この「放送法」について議論が交わされている。
どういう話かと言うと、高市総務大臣の質疑をご覧下さい。

動画 (衆院予算委員会 2/8)
高市: 「基本的には、放送事業者が、やはり自律的にしっかりと「放送法」を守っていただくということが基本であると・・・」

奥野総一郎衆院議員(民主): 「「放送法」がもし恣意的に運用されれば、政権に批判的な番組を流したというだけで、業務停止をしたり、その番組を止めてしまったりということが起こりると思う。ですからここで明確に否定していただきたいけれども・・・」

高市: 「全く改善されない、繰り返されるという場合に、全くそれに対して何の対応もしないということを、ここでお約束するわけにはまいりません」 「違反した場合には、罰則規定も用意されていることによって、実効性を担保すると考えておりますので、全く将来にわたってそれがあり得ないということは断言できません。


玉川: 今政府の解釈では、「放送法」によれば、いわゆる偏った放送をした場合には電波を止めることが出来るよと言っている。

高市氏の発言のパネル
“放送局が自律的に「放送法」を守るのが基本だが、何度も行政指導をしても偏った放送を繰り返した場合電波停止の可能性も“(2/8)
偏ったかをどうやって判断するのか?
“番組全体を見て判断するが、番組全体は1つ1つの番組の集合体、1つ1つの番組を見て判断”(2/12)

だから、例えばこのそもそも総研が偏っていると政府が判断した場合には、この番組を止めるぞというようなことがあり得るということを言っている。

* * *  「放送法」にある不偏不党の意味とは?  * * *

ああそうなんだ。 そこで元々この「放送法」はそういう風に解釈できるという話だったので、そもそも「放送法」ってどんな法律なんだろう?ということを取材した。
今回、放送法の専門家・専修大学の山田健太教授と、実はこれは憲法が絡んでくるので、憲法の専門家・首都大学教授の木村草太教授のお二人に、本当に偏った放送をしたら電波を止められるという法律なのかと聞いている。

玉川:そもそもなんですが、「放送法」の目的というのは何なのか?

山田: ずばり、政府からの自由、国家からの自由。 戦争中に言論弾圧があったので、それを反省して何とか言論の自由を日本の社会に根付かせて、民主主義を発展させようと、そのために放送の自由をきちんと確保することが大事だということになり「放送法」が出来たという経緯がある。 

1-s.jpg

どうしても放送の場合には、電波の免許制度というのがあって、国が関与する部分が出てくる。だから政府の介入を避けるために、自由というのを大事にしなければいけない。 それをきちんと法律で決めていきましょうというのが目的。

2-s.jpg


玉川: 「放送法」の建て付けの部分、まず第1条には何が書かれているのか。

山田: 大きくは2つあって、1つは、国は放送の自由をきちんと保障しなさいということ。もう1つはその下で放送人・放送に携わるすべての人は、放送の自由を守って民主主義を健全に発展させていくために頑張りなさいということが書いてある。

3-s.jpg


玉川: 第1条の2項に、

4-s.jpg

不偏不党を保障することによって、表現に自由を確保することある。 不偏不党を保障するのは、国が保障するんですよね。 何で国が不偏不党を保障することにより、表現の自由を確保ということになっているのか?

山田: 不偏不党という言葉が曲者だと思う。 不偏不党というのは、きちんと党派性を排除して、一定の政党は政治的な考え方に偏らないということを意味している。
まさに、“政府の考え方に寄り添うような報道をしてはいけません。”“政府はそういうことを強制してはいけません”という意味合いでの不偏不党である。

5-s.jpg

玉川: 不偏不党というと一般イメージとしては、片方だけの主張をして偏っているじゃないかだからダメなんだという話になるが、この2項はそういう意味ではないんですか?

山田:違います。 主義主張や事実や意見というのは自由。 あくまでも“ある政党に属するような活動をする”或いは“政府がある一定の意見を強制する”ということがあってはいけない。 まさに独立性という話です。

6-s.jpg

(説明) 「放送法」の3条には、「番組は法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」とある。

これは“名誉毀損やプライバシーの侵害などの基本的人権や、著作権違反や猥褻などの他の法律に抵触しない限り、誰からも干渉されることなく、自主独立が守られるという意味だ“と山田教授は解説する。

では「放送法」4条は?

7-s.jpg


玉川: 「放送法」の目的はあくまで「政府や権力からの自由」ということでずっと続いてくると、では第4条で“政治的に公平じゃないとダメ”とくるのはどうなのか。政治的に公平でないから電波止めますよというのは、その前段の目的と違うような気がするが。

山田: あくまでこの4条は、1条に書いてある放送時の職責が書いてある。
すなわち、放送局が視聴者に対する約束事としてある。自立報道であるとか、政治的公平であるとか、多角的論点の提示だとか、きちんと視聴者との間で守りなさいと、

玉川: 4条は、専門家の間では倫理規定だと。この4条に基づいて行政指導というのは違うと言われている。なぜ4条が倫理規定だという話になってしまうのか?

山田: もし4条を法的拘束力があると、法規範だと考えてしまうと、憲法21条「表現の自由」とバッティングしてしまう。 正面からぶつかってしまう案件。 ですからこれは倫理規定と考えざるをえない。「放送法」の1条で放送の自由を守りましょうと書いてある。 にもかかわらずそのすぐ後ろの4条で、放送の自由は色々な制約があると書いてあると法律の中で矛盾してしまう。

(説明) 憲法にある表現の自由との関係から、“仮に4条(政治的公平)に反しても、政権から法的拘束力は受けない“と山田教授。では憲法の専門家はどう考えるのか?

玉川: 日本には憲法で認められた表現の自由がある。 だが、政治的公平に反した場合には、いわゆる業務(停止)命令もできるというのは、表現の自由に反する法律のような気がする。 何故表現の自由の憲法のもとで、この「放送法」が合憲だと考えられてきたのか?

木村: 報道の自由があるから、“規制することは原則憲法違反である”これが原則になる。 ただし、まず放送メディアは数が少なくて特権的な立場にあり、その情報は正確で公平なものでなければいけないという説明がある程度つくということ。 

それから「放送法」4条というのは、あくまで規制の根拠でなく倫理規定であり、この規定に仮に違反したからと、即座に何かの規制に繋がるというようなものではない。 メディア内部の倫理で守っていくものという解釈をされてきたので、規制の対応そのものも非常に弱いということで、憲法違反ではないだろう、合憲性が説明できるだろうと言われてきた。

8-s.jpg

玉川: すると逆にこの4条を使って規制ができるようになると、ここは憲法の問題としておかしいのではないかという話になってくる。

木村: 当然そうなるし、4条を根拠に規制することは、そもそもそういうふうに法律を解釈してはいけないし、そのような法律の解釈の仕方というのが憲法違反であると、専門的に言うと、そういう処理になります。

玉川: という話。 私も今回改めて「放送法」を見てみたが、1条では目的が書いてある。目的は放送を健全に発達させることが目的で、その目的のために放送の不偏不党を保障することによって、表現の自由を確保するとなっている。

初め読んだときよく分からなかった。 この不偏不党を保障するのは誰なんだ?国なんだそうです。 
国が不偏不党を保障するとはどういうことだ。 これは例えば放送がある政党からこういう風にやれと強制されてそれをやってしまうと。こういうことを国はさせないよという意味で、つまり権力で何かをやれと言われたことから自由にするための不偏不党だと、これで表現に自由を守るということになっている。

9-s.jpg

目的がこうだから、4条で放送というのは、編集に当たっては、政治的に公平であることを守れと書いてある。これを理由に電波を止めるとなるとそもそもの目的に反してしまう。
だからこれは倫理規定だと。 これは分かりましたか?

法律の建て付けはこうだ。 日本以外ではどうなのか? 表現の自由を憲法に書いてある国、例えばアメリカはどうなっているのか? アメリカではこの政治的な公平原則はかつてあったが、撤廃された。 何故かと言うと、憲法に違反するからだと。
どういうことなのか?

* * * 「政治的公平」の意義とは?    *  *  *

「放送法」に詳しい上智大学・音好宏教授: 連邦最高裁判所でこれはおかしいと、憲法(表現の自由)に抵触するからという理由で撤廃をした。 アメリカでは公平原則事体が邪魔ということで撤廃をした。

(説明) アメリカの憲法の修正第1条に、言論・表現の自由が謳われている。1984年連邦最高裁判所判決には、公平に両論併記をすること自体が表現の自由を妨げている、との判決を出した。その背景には一体何があるのか。

10-s.jpg

: メディア環境が変わっているのだから、多様な意見を出す環境はできている。

(説明) アメリカではケーブルテレビ局などの拡大で多チャンネル化が進んだ。1つの局が1つの主張を続けたとしても様々は言論の場が確保できるようになったため、最高裁は本来の“憲法の精神である「表現の自由」を尊守すべき”という判断をしたと音教授は指摘。

15-s.jpg


: Aの意見ではないBの意見とかCやD、色々な意見が出てくることが、多様な意見を社会の中で担保することになる。逆に公平原則が存在すること自体が、多様な意見が出てくることを阻害することになるという考え方。

11-s.jpg


玉川: そうすると、Aと言って、Bも入れろと言って来ても、それは別のところでやってもらえる環境になったのだから、Aの意見だったらAを言うだけで良いと。それが表現の自由なんだということなんですね。

音: はい。

(説明) アメリカでは1987年に撤廃された「公平原則」。日本にはこの原則が今も生きている。 そのことにはもう1つの意味があると山田教授は指摘する。

玉川: あくまで「放送法」というのは権力からの自由、自立を謳っているものだから、TV局は勝手にどんどん進んでいけ、主張しろという解釈はどうか?

山田: 放送局とは、一番大事なのは自分たちが面白いと信じる番組を作っていくこと。 ただし必ず間違いはある。 或いは場合によっては誰かを傷つけることもある。 その場合には政府に言われたからそれを止める、反省するのではなく、まずは自らそれをきちんと反省していくということが大事だと思う。 それが自主・自立という考え方だと思う。

玉川: そこで「反省なんかしない」となると結果的に評価は得られず認められないということになる。

12-s.jpg


山田: 当然そういう番組は見られなくなるわけだし、番組によっては日本の仕組みだとスポンサーがつかなくなってしまうかもしれない。 この「放送法」はアクセルとブレーキが両方書いてある。 基本的には「表現の自由」はアクセル。 自由にどんどん報道しようよという話だから。だが、やはり当然ながら強いアクセルを踏み込みすぎるとスピードが出すぎて危険なこともあるから、その時にやはり高性能なブレーキが必要なわけだ。
4条の4つの基準
・ 公安・善良は風俗を害さない
・ 政治的公平である
・ 事実報道をする
・ 多角的に論じる
13-s.jpg


を基にして、きちんと適切なブレーキを踏んで、良い番組を作っていきましょう。そういう仕組みになっている。

玉川: スピードが大して出ていないのに、お上から止まれと言われるのではなく、ちゃんと自分たちでブレーキを踏めよということか?


山田: そうです。 お上から言われるのはブレーキとは言わない。自分で踏んでいるのではないから。 あくまでもアクセルもブレーキも全部自分で踏まないといけない。

14-s.jpg


(説明) ではTV局にとってのアクセルとブレーキとは?

高木: 番組が偏っているというのは誰がどういう基準で決めるのか。 いろいろなものの見方があり、いろいろな立場から考えるのは当たり前。 日本の番組はアメリカの番組に比べて、非常に親切に気を使って放送しているのが分かっておもしろかった。
ある議員さんに、日本のいくつかのTV局は自分たちが嫌いなんですねと言われた時に、報道というものは権力に対してエッジを立てなければいけないのであって、お宅のことが嫌いというわけではないという説明をしたが、今その説明でよかったんだなあと思った。
玉川: どういう政党が権力を持っていたとしても、その権力に対して私達はチェックするということでやっている。
羽鳥: TV局の立場としてはエッジを立てることは大切だが、立て方も大切だ。やりたい様に何でもやって良いのかと言うと、そこはちゃんと考えなくてはいけないところはある。
玉川: たぶんやりたい様にやったら、もうそのTVは見られなくなり、結果私達は放送できなくなるというものだと思う。

今日のむすび: 権利と評価は自ら勝ち取るべきもの

表現の自由も基本的人権だが、何となく与えられた感があるわけだ。しかし、素晴らしいものを与えられたとしても、既にそれが脅かされるような状況になったら、やはり勝ち取っていかなくてはいけない。

同時に「放送法」の4条で、評価というものも勝ち取っていかなくては番組なんか続かない。 
だから私はこの番組を改善して、常に良いものにして届けていく。 勿論考えているのは視聴者。
そういうことでやっていけば、お上に電波止めろなんて言われるような話ではないと私は思うが、(高木:そんなケンカ越しにならなくても・・)いやいやいや、戦うときは戦うということです。 皆さん、いかがでしょうか?

(完)

さすがに民主主義の括弧つき大国であるアメリカでは、多くの選択肢を実現したところで、『多様な意見を社会の中で担保することになる。 逆に公平原則が存在すること自体が、多様な意見が出てくることを阻害することになるという考え方。』だということを初めて知りました。

そもそも日本では、記者クラブ制度があり、仲良しクラブ以外のメディアの取材の自由が確保できていません。
戦時中に出来た記者クラブ制度のぬるま湯につかっているテレビメディア、大手新聞メディアに脅しをかけるなんて、何だかお手盛りの茶番劇に見えますが。

また、この20分の番組中に5分のコマーシャルが入り、その数は5つ。 いかにこの番組への視聴者の期待を製作側も感じているのが分かります。
schnauzerは最近ほとんどTVを見ませんが、だらだらと付けっ放しにせず、「そもそも総研」でもおもしろくなければ、途中で切るという手段は有効なのではと感じた次第。
羽鳥氏がエッヂの立て方も問題だと語っていましたが、彼のようにおかしな公平をモットーにして、エッヂが効かずに視聴者が減り、スポンサーがなくなれば、権力に迎合しても経営が成り立たなくなりますから。

登戸研究所の事実を知らずに戦争を語るべからず!

2016.02.02 17:51|2016 政治関連
2016年、早くも2月に入ってしまいましたが、今年は日本の将来に立ちこめる暗雲を吹き飛ばすべく頑張りどころの一年になりそうですので、中国語を学びながら細々ながら更新していきます。 どうぞよろしく~~。

1月30日(土)に神奈川県川崎市多摩区、小田急線生田駅又は向ヶ丘遊園駅に近い明治大学生田キャンパス内にある『明治大学平和教育登戸研究所資料館』を見学して参りました。

このキャンパスは、旧日本陸軍の登戸研究所の敷地内にあり、古くは研究所の建物が使用されてきました。しかし残っていた建物も老朽化が進み撤去され、第二科が使用し、その後明治大学農学部が利用していた研究施設を、当時をなるべく残すように復元して資料館として2010年より一般に開放しています。

今回、中国語を習っている日中学院にある『日中学院9条の会』のお誘いに乗り、友人を誘って見学して来ました。


当日、我々10名ほどと他20名の合計30名ほどが、明治大学文学部教授でこの資料館館長の山田朗先生から、キャンパス内の登戸研究所史跡と資料館について丁寧な説明を2時間半受けてきました。
非常に興味深く、今だからこそもっと多くの人に流布して行くべきだし、中高生に是非見せるべき施設だと痛切に思いました。
行くのが遅過ぎて大反省しているところです。

以下の内容は、資料館サイトや当日頂いた詳しいガイドブックなどを参考にしたり、抜粋してあります。

登戸研究所については、明治大学平和教育登戸研究所資料館のサイトがありますので是非目を通して頂きたいと思いますが、簡単に説明すると、この登戸研究所は、旧日本陸軍の秘密戦のための兵器・資材を研究開発するために設置した研究所で、その存在は陸軍の中でも秘密にされていたそうです。

従ってその存在は記録されておらず、戦後も関係者が口を閉ざしており、全貌は分かっていませんでした。 ところが1980年代より、この地域の一般市民、教員、高校生たちが自分の住んでいる地域の歴史を調べようとする動きがあり、また、この研究所が戦局の悪化に伴い長野県伊那地方に疎開したのですが、その地域の高校生による働きかけがあり、口を閉ざしていた元少佐(伴繁雄著『陸軍登戸研究所の真実』)の心を動かして貴重な証言を得たことにより、研究所の全貌が明らかになってきたということのようです。少佐が口を開いたことにより、部下であった者は口を開き易くなり、貴重な証言が集まってきたということです。

この研究所は『第九陸軍技術研究所』として開設され、当初は電波兵器の開発施設でした。その後名称も『陸軍科学研究所登戸出張所』と変更され、内容も拡充していき4つの科がありました。

第一科 風船爆弾の開発(実際の製作は、全国津々浦々の女学生が動員され、和紙とこんにゃく糊により造った。有楽町にあった日劇や宝塚劇場なども製造場所となったそうです。)

ここでは、10分の1サイズの模型を見たり、和紙を張り重ねてこんにゃく糊を塗ってあたかもビニールのように複製された部品に触れることが出来ます。

偏西風に載せて米国本国まで飛ばした数は9300発とされていて、様々な非常に精巧な技術を使った開発であったそうです。

第二科 生物兵器、スパイ機材の研究開発。青酸ニトリルの開発に成功し、国外の陸軍部隊の司令部や特務機関に送られていたそうです。

第三科 偽札製造。日中戦争が泥沼化する中で、中国の経済を撹乱させる目的で偽札工作が行われた。当時の中国紙幣は英国や米国の技術だったので日本は遅れていたが、内閣印刷局や凸版印刷などの機関や企業の協力を得て1940年にはほぼ同水準の紙幣を製造できていた。その頃の日本の国家予算が200億円で、偽札は40億元を発行していたと言われている。

1041年には香港の印刷工場を接収したので、「ほんもの」の紙幣を製造できるようになった。中国政府も察知して地方政府へ偽造紙幣を警戒するように通達を出していた。
ところがそのうち本物と見分けがつかなくなってしまった。 日本軍はこれで物資の調達を行い、中国でこれに携わった日本人の中で、莫大な富を得て戦後も暗躍した大物が現れた・・・。誰だが分かりますか?

偽札製造は国際法的にも道義的にも問題になるため、第三科は研究所内でも秘密にされており、一部の所員が証言を行うまで実態がほとんど分かっていなかったそうです。

この関連の施設は最近まで残っていたようですが、老朽化のため2011年に解体されたとのことです。

第四科 第一科、二科の製造など

この資料館の特徴は、
1.旧日本軍の研究施設をそのまま保存・活用した全国唯一の事例であること。当時は第二科実験棟のひとつで、農作物を枯らす細菌兵器の開発等であった。その姿に近いものに復元した。

2.歴史に記録されていない秘密戦に焦点をあてた日本で唯一の資料館である。

3.研究所の全貌を実証的、視覚的に展示した唯一の常設資料館である。 歴史的事実を直視して語り継ぐことに重点をおいている。

4.研究所の史実発掘課程も展示の対象にしたこと。地元や研究所疎開先の市民、教師や高校生による働きかけが、元所員の貴重な証言を引き出したことにより、歴史や戦争の暗部を解明するきっかけになった課程が分かるように展示してある。

(つづく)

来年は良い年にしたいですね!

2015.12.30 23:57|2015 政治関連
三ヶ月ブログを更新せずに2015年が終わろうとしているので、今年最後に一言。

この間、一年前に急に思い立った中国語の勉強に明け暮れ、それも二年目に突入しています。
英検の中国語版ともいえる中国語検定の4級と3級の試験にも受かりました。
1年で3級に受かるのは結構少数のようですが、試験というのは100点でなくてもよく、何だかなという点でしたが、一応パスしてしまいました。

未だにほとんど話せませんが、そこは典型的日本人。 聞いたり書いたり、また文法の理解が、話す力より少しだけ勝っているようです。

この一年、目まぐるしく様々な事が起こり、大体はつかんでいますが、ブログを書く時間を中国語の勉強に当てないと落ちこぼれること必至。 
それでも年の締めくくりに岩上安見氏のIWJが主催する『饗宴VI』に参加して、多数の論客が語る問題点を聞いてきました。 なかなか刺激的でおもしろかったです。
ここで、一番問題になっていたのは、『安倍政権が目論む緊急事態条項! 』 

こんな訳で今年は余り本を読まなかったし、読んでも途中で挫折したりしましたが、おもしろかった本を二冊ご紹介します。

最近は中国から日本を見たり、中国を含めたアジアから日本を見る癖がついています。
安富歩 『満洲暴走 隠された構造 大豆・満鉄・総力戦』 (角川新書) 新書

この本は、漠然と描いていた満州の姿を打ち破ります。 そして満州での問題点が結局現在まで引き続いているという新しい視点を与えてくれます。 
面白くて一気に読めて、非常に有意義ですのでおすすめです。

もう一冊は、『饗宴VI』にも登場した富岡幸雄 『税金を払わない巨大企業』 文春新書

法人税を下げろと叫んでいる巨大企業が、実は実質的に税金を少しだけしか払っておらず、その分を一般庶民の消費税で賄おうという姿を、具体的な数字を上げて示してくれています。
グローバル企業のタックス・ヘイブン(租税回避地のこと、ヘブン(天国)ではない)の利用の仕方や、税制のまずさにより懸命に働き税金を納めている庶民へのしわ寄せばかり大きくなり、企業の利益が社会に還元されていない実態がよく分かります。

税制や財政に弱いのですが、このくらいは押さえて、グローバル企業を利用していくのが現代人の常識にならなければ・・と強く思う一冊。
富岡氏は御年90歳。 ますます意気軒昂で、消費税を無くすまで頑張るとのことでした。

フィリピン、アジア投資銀への加盟を発表 実利を優先 ( 12/31 日経)

創設メンバーとして参加を表明した57カ国のうち、設立協定にまだ署名していなかったフィリピンが31日に署名をすることを決定したという本日のニュースです。 
この創設メンバー 57カ国を見ると
ほとんどのアジア・ヨーロッパの国が参加しており、米国、カナダ、日本だけが参加していないという格好。
地図で見ると、北米大陸と飛び地の日本が参加していないというように見えます。 
日本が、アジアの鬼っ子にならないといいのですが。

おもしろい動画をひとつご紹介します。
動画 清明上河图
この動画を教えられて、いたく心を動かされ読んだ、野嶋 剛 『謎の名画・清明上河図』 勉誠出版も今年の一冊に加えたいです。

来年も厳しい年になりそうですが、それぞれの場で頑張りましょう。

よいお年をお迎え下さい。
祈祷明年是个平安年!



IWJインタビュー/小西議員→集団的自衛権容認は「昭和47年政府見解」の恣意的な読み替えに過ぎない

2015.09.29 18:58|2015 政治関連
2015・5/21 IWJで 民主党・小西洋之参議院議員 が「昭和47年政府見解」の知られざる真実を暴露しています。 これについてIWJも書き起こしていますが、とても重要だし、これで集団的自衛権について政府の考えも分かり易いので、簡単にまとめてみることにしました。
スクープ!】「集団的自衛権行使容認の閣議決定」が覆る決定的根拠! 「昭和47年政府見解」の知られざる真実を小西洋之議員が暴露!!
少し前までフルオープンになっていたのですが、今はハイライト動画のみになっていますが、ご覧下さい。

安倍政権の集団的自衛権の解釈改憲は言葉遊び/読み変えに過ぎない

これまでの政府は集団的自衛権について、一貫して憲法改正をしなければ認められないという方針できた。従ってこれまで何回もこの見解について言及している。 (これらは当然内閣法制局の検討を経ているということになります。昨年はこれが1日で出来たのか? by schnauzerz)

ところが、安倍政権は昨年2014/7/1に「昭和47年政府見解」を解釈し直すことで集団的自衛権の行使が出来るとして閣議決定した。
「・・・昭和47年10月14日に参議院決算委員会に対し政府から提出された資料『集団的自衛権と憲法との関係』に明確に示されている。」(閣議決定より)


それでは「昭和47政府見解」とは一体どんなものか。
基本的な論理①
*憲法は、第9条において、・・・前文において、・・・第13条において、・・・我国がみずからの存立を全うし、国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。

基本的な論理②
・・・しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それはあくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利をまもるための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は右の自体を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲に留まるべきである。

帰結
・・・そうだとすれば、我国の憲法下で武力行使を行うことが許されるのは、我国に対する急迫・不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、従って他国に加えられた武力攻撃を阻止することその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。

この②の中の「・・・外国の武力攻撃によって・・・」の外国武力攻撃を受けるのを通常は「我国に対する」と考えるが、現政権は42年振りに改めて読みなおしてみると同盟国に対する」も意味していると主張している。

そんなバカな!!! by schnauzer)

ところが、2015/3/24 小西議員の、「同盟国、我国でない他国に対する外国の武力攻撃ということも概念的に含まれるというふうに考えだしたのは、横畠長官が初めてだということでよいか?」 という質問に対して、横畠法制局長官は、「・・・この47年政府見解そのものの組立から、そのような解釈、理解が出来るというということでございます」と答えている。

47年当時政府見解中の「・・・外国の武力攻撃によって・・・」が誰に対するものと想定していたのかを、誰に聞いたらよいのか。

この見解は S47/9/14、国会で当時の吉國法制局長官が、「憲法第9条の戦争放棄の規定によって、他国の防衛までをやるというのは、どうしても憲法9条をいかに読んでも読みきれない・・・」と答弁したものを、見解文書にしてほしいという野党議員の要望で出されたもの。 
小西議員は「昭和47年政府見解」のコピーを入手し、そこに判を押している内閣法制局長官以下4名の内吉國氏と角田氏の見解を示した。
20150521_image1-1-s.jpg




吉國長官の答弁は続く「外国の侵略が現実に起った場合に『生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利』」が根底からくつがえされる恐れがある。
その場合に、自衛のため必要な措置をとることを禁じているものではない、というのが憲法9条に対する解釈の論理の根柢でございます。

その論理から申しまして、集団的自衛の権利ということばを用いるまでもなく、他国が侵されているということは、まだ日本国民の生命なり自由なり幸福追求の権利が侵されている状態ではないということで、まだ日本が自衛の措置をとる段階ではない。日本への侵略行為が発生して、そこで初めて自衛の措置が発動する。」

S47当時法制局第一部長であった角田氏が長官になっていた
S56年答弁
角田(禧)内閣法制局長官 →我国に対する武力攻撃がなければ、我国の自衛権の発動はないということを申し上げたわけであります。

また、S58衆議院予算委員会 対市川議員への答弁
角田長官 → 集団的自衛権の行使を憲法上認めたいという考え方があり、それを明確にしたいということであれば、憲法改正という手段を当然とらざるを得ないと思います。従ってそういう手段をとらない限りできないということになると思います。
安倍外務大臣(安倍晋太郎・晋三父)→ 法制局長官の述べたとおりであります。
谷川防衛庁(省)長官 → 法制局長官の述べたとおりでございます。

このように、これまでに集団的自衛権を認めた政府見解はひとつもない。安倍政権が集団的自衛権を持ちだした拠り所となる「昭和47年政府見解」を作成した人も、我国が外国の武力攻撃を受けた時と明言している。どこにも同盟国が武力攻撃を受けた時という解釈はない。

ところが安倍政権は今ではアメリカに限らない、NATOにもと言いだしている。
この解釈ではイランとイラクの戦争に日本が出て行くことも可能になる。
それも総理大臣と国会が決めることが出来ることになる。

たった一つの言葉の読み変え、言葉遊びで集団的自衛権の解釈改憲が行われたことになる。

また、「専守防衛」については、田中角栄内閣から確立した解釈がある。
「専守防衛とは、相手から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限に留め、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢をいう。」(H26防衛白書)とされてきた。

ところが、安倍政権はこれを読み変え、この中の相手からは、通常日本に対する相手と考えるが、「自国と密接な関係のある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにも拘らず、実力をもって阻止する権利」と解釈している。」(防衛官僚の国会答弁)

日本は法治国家でなくなっている。憲法を蹂躙されている。そのうえ、日本語の読み方も全く間違っていると小西議員は結んでいます。

(日本語もまともに読めないのか! 頭がクラクラしてきた!! by schnauzer)

内閣法制局が解釈改憲を公文書に残さず

2015.09.29 14:10|2015 政治関連
集団的自衛権:憲法解釈変更 法制局、経緯公文書残さず 審査依頼、翌日回答 (9/28 毎日
「政府が昨年7月1日に閣議決定した集団的自衛権の行使容認に必要な憲法9条の解釈変更について、内閣法制局が内部での検討過程を公文書として残していないことが分かった。法制局によると、同6月30日に閣議決定案文の審査を依頼され、翌日「意見なし」と回答した。意思決定過程の記録を行政機関に義務づける公文書管理法の趣旨に反するとの指摘が専門家から出ている。」
同日政府は閣議決定をしたわけですが、当時から問題点が指摘されていました。公文書の残す以前に、内部の検討がされていないということですよね。メディアもあの時に騒ぎべきでしょう。

「これまで内閣法制局は、他国を攻撃した敵への武力行使を認める集団的自衛権の行使容認は、今月成立した安全保障関連法の土台だが、法制局はこれまで40年以上もこれを違憲と判断し、政府の憲法解釈として定着してきた。」

「集団的自衛権行使は憲法上許されない」とする1972年の政府見解では、少なくとも長官以下幹部の決裁を経て決定されたことを示す文書が局内に残る。法制局が審査を行う場合、原則としてまず法制局参事官が内閣や省庁の担当者と直接協議し、文書を残すという。しかし、今回の場合、72年政府見解のケースのように参事官レベルから時間をかけて審査したことを示す文書はない。」

1972年の政府見解は今でも請求して入手することが出来ますが、今回はその課程が残っていないということになります。

今回の憲法の解釈変更の唯一根拠としているのは「昭和47年(1972年)政府見解」なるもので、それについて参議院で追及した小西洋之議員が、「昭和47年政府見解」の単なる『言葉遊び/読み変え』を行っているに過ぎないと、5/21 IWJ岩上氏のインタビューで語っています。
これまでの法制局が憲法では認められないとしてきた集団的自衛権を、ではどのように読み替えて正当化しているのでしょうか。

次のブログに続きます。


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。